ピンクリボン

●授業で行ったこと
記事を見ました。TBを送ります。

ピンクリボン画像



・大学の授業で画像を切り離しできる操作方法ペイントでつくった絵をブログに乗せる操作方法を学びました。パソコンの機能はつくづく凄いと思ってしまいます。


・画像はピンクリボンの画像です。新潟市にある建物、ネクスト21がピンク色にライトアップされています^^
とても奇麗ですよね。今度はナマで見てみたいです!!


ネクスト21についてふれて、ネクスト21の建物がある古町について知りたいと思い、調べてみました。

古町(ふるまち)は、新潟県新潟市中央区にある地名、及びその周辺一帯を指す名称である。狭義としては古町通1番町から13番町までを東西に貫く古町通りに面する商店街地域を指すが、広義としては、古町通りを中心に、およそ南は本町通りから北は西堀通りまでの範囲を指す。新潟市では万代シテイと並んで商業の中心地である。

街路は古町通りと平行する「通り」と呼ばれる道と、これに直交する「小路」と呼ばれる道からなる。古町通りの北側には西堀通が、また南側には東堀通、本町通が通り、柾谷小路等の小路が縦貫している。
鍛冶小路から上手の白山神社に繋がる古町通1番町から4番町までの区間は老舗の商店が並ぶ一方で、近年は若者が経営する店も出来ており、多様化が進んでいる。5番町から7番町までの区間にはアーケード街(ふるまちモール)が広がっており、地名に合わせ「ふるまちモール5」「ふるまちモール6」「ふるまちモール7」と命名されている。
俗に歓楽街と称されるのは8番町、9番町で、並行する東堀には新潟を代表する老舗割烹もある。10番町より下手は古くからの住宅街が形成されており、13番町に至る。いわゆる繁華街は5番町から9番町までとその隣接地域が中心となっている。

☆古町の歴史
この周辺は、かつては日本有数の遊郭で江戸時代初期に書かれた『遊里遊郭番付表』では、京都・大坂・江戸の三都に次ぐ番付であった。やがて、市内の堀が整備され新潟港に北前船が寄港するようになると一帯は更に発展を遂げた。十返舎一九による『東海道中膝栗毛』の中では「新潟越後じゃあんめいし八百よこせとすさまじい」と書かれている。
明治時代になると、法改正や新潟市内での大火(明治新潟大火)の影響も相まって遊郭は移転し芸事が中心の花柳界(花街)へと変化した。昭和初期には新橋・祇園と並び三大花街と呼ばれるまでとなり、現在においても高級料亭が12軒、営業している。行形亭、有明、やひこ、寿々村、大丸、小三、かき正、鍋茶屋、金辰、等の新潟を代表する老舗料理屋がある。
昭和時代になると、天然ガス採掘による地盤沈下の発生や、下水道網の不備から堀に生活廃水が大量に流出したことなどから堀の水質が悪化。更に昭和新潟大火(1955年)による古町地域の焼失及び新潟国体(1964年)を控え、交通路の確保と街の衛生状態を改善する必要に迫られたことから、昭和30年代末頃までに堀は全て埋め立てられた。
かつての堀の周辺には西堀通や東堀通といった堀の付く地名が多い。またかつての堀の縁には柳の木が植えられていたことから、新潟市を柳都(りゅうと)と呼んだり、新潟市の木が柳となるなど、歴史が色濃く残されている。
現在では、ラフォーレ原宿・新潟や新潟三越(かつての小林百貨店)、大和などはあるものの、万代シテイと比べるとテナントビルや百貨店などの大型店は少なく、昔からの商店や専門店などが立ち並んでいるため商店街・ファッションストリート、飲食街といった性格が強い。
また、西堀通りには本州の日本海側では唯一の地下ファッションストリートである西堀ローサがある。(ただし、地下ファションストリートに限定せずに単に「地下街」と言った場合には、富山県高岡市高岡駅前地下街が存在。)

参考ページ;ウィキペディア

、、、という文章がウィキペディアに記載されていました。私も知らないことばかり書かれていて、古町の歴史を感じることができました。新潟に観光に来たら、ぜひ古町を訪れていってほしいと思います。新潟の歴史が詰まっています!!