変わりゆく教育

●教育の変化


大学の授業のページに「変わりゆく教育」に関する記事がありました→ここから転送

もうすぐ中学校に教育実習に行く私ですが、私の頃と授業内容や生徒の様子など、どういう風に変わったのか気になります。時代が変化しているので、教育も変わる必要があると大学で習いました。変化が早くて大変に思うこともあるけど、変化に対応できるようになりたいと思います。



変わりゆく教育について考えたら、現代教育の問題点などが気になったので調べてみました。


【現代教育の問題点】
「教育の問題」と言うと、根本的な問題点を論ずるのでなく、もっと病理的、現象的なものを先にあげる傾向が強いらしい。実際に、教育関係者、マスコミ、社会心理学者、評論家等の取り上げる現代教育の問題点のほとんどは、登校拒否・校内暴力・家庭内暴力・いじめ・自殺といった生徒の問題行動とそれに対する教師や学校の無能力状態に限られる傾向が強い。


現代教育の病理現象である生徒の問題行動は、近年その件数が増加傾向と同時に、比較的低学年化するようになった。いじめとは、それを行う児童、生徒に超自我の形成と徳育が十分でなく、またけんかのルールを知る体験も無いために家庭生活や学校生活での欲求不満やストレスが起こると、他人をいじめることによってそのはけ口を求めるようになったのである。善悪の判断が欠落しているために、いじめがエスカレートしても、自己の良心に立ち戻ること
なく、罪悪感にさいなまれることのないのが特徴であるみたいだ。


家庭内暴力とは、心的軋轢を引き起こす外的環境が家庭にある場合、青年の外界への攻撃が過干渉、過保護な母親や、心理的不在の父親に向けられたものである。幼児期には外的環境に支配されていた自我が、青年期になると、自身の内部に形成されている内的自我としての良心(超自我)に支配されるようになる。このため、外的環境との軋轢は、青年の内的軋轢となり、これが外界への攻撃にそのはけ口を求めて外的軋轢を引き起こす。超自我が十分に形成されている場合には、ここで自己に立ち戻り、自己抑制して、自責の念にかられるが、超自我の形成が不十分な場合には、外界への攻撃を引き起こす段階で自己に立ち戻ることができず、自己抑制しないで、外界への攻撃をエスカレートさせていくのである。


登校拒否とは、母親の過保護や父性の欠如等によって、児童、生徒に超自我や社会性、及び自立心などの形成不十分が見られると、困難に陥ったとき、それに立ち向かうことが出来なくなり、その結果、学校生活で心理的圧迫を受けた場合に、自発的に集団に参加できず、逃避、退行して、母親分離が十分出来ない情緒不安定な状態となって、学校へ行くのを拒絶するようになったものである。


いじめに関係のある登校拒否については、毎年実施している学校基本調査の結果によれば、当初は(平成元年)「学校ぎらい」を理由として、長期欠席した者のパーセントは、中学生が最も高く、小学生はその十分の一にすぎないが、十年間の推移を見てみると、年々内容変化の傾向であるのが現実である。しかも、その理由に占める構成比のうち、小学生では「病気」が半分以上であって、「学校ぎらい」を大幅に上回っているのに対し、中学生の場合には「学校ぎらい」が半数で、「病気」欠席は三分の一に過ぎない。しかし、近年の調査によると中学生でも「病気」欠席が半数以上を占め、「学校ぎらい」はその半数にもみたないことを考えると近年の中学生が何らかの理由で顕著に学校ぎらいになっていることは明白である。その主な理由に「いじめ」があげられるかもしれないが、小学生の高学年で「いじめ」が急増している割には、登校拒否が中学生ほど著増していないところをみると、中学生の場合には学校の教科が分からないことから来る「学校ぎらい」が増えているのではないかと思われる。出来る生徒を中心に画一的授業を続けるなかでの典型的な落ちこぼれ現象とも考えられる。



・・・・・・など、現代教育に関する問題点は、いじめ、不登校家庭内暴力と、こどもにとって本当に辛い事態が挙げられている。子供にとって学校に行くことは当たり前のように思う、その当たり前のことができないことは辛いことだ。その原因に、いじめや家庭内暴力などがあるのなら、なんとかしてそれらを防いでいく必要がある。政府や国には、子どもたちが学校に行き、勉強しやすい環境、友達と切磋琢磨できる環境作りを真剣に考えていってほしいと思った。



*参考ぺージ:現代教育の問題点