画像

●画像貼り付け


教職総合演習で、ペイントの絵をブログに載せる方法を学びました。私はインターネット演習でもこの方法を学んでいたので、今回の授業でさらに理解が深まりました。
「win shot」というものを用いてブログに画像を貼ることができます。



この画像がwin shotを用いて貼った画像です。この画像は「平和ってなんだろう」という題名の本の切り取りです。授業のページにあった記事からの画像ですが、今日は平和について考えてブログに書きたいと思います。


私が思う「平和」とは、笑顔で生活できることだと思います。戦争がないことや政治的に圧力がないことも平和だと思います。日本は戦争もしていないし、物質的にも豊かな国だと思いますが、本当に日本は平和な国なのか?と問われたら私は考え込むと思います。
私は100年も前の昔の日本のことを良く知らないし、他の国のことも良く分からないので、今の日本が平和だと比べる基準みたいなのがありません。ですが、戦争もなく、義務教育も受けられる、世界的にみて豊かな国である日本は、おそらく「平和」な国なのだと思います。でもなぜ考え込むのかというと、日本にも様々な問題があると思うからです。例えば年金問題や派遣問題、ゆとり教育問題や少子高齢化問題など、本当に様々あります。このような問題の解決方法は正直分りませんし、解決策があったとしても、その解決策が本当に良いものなのか分からないと思います。こう考え出すときりがありませんが、平和な世の中になってほしいと本当に思います。


平和とは何だろう?実際何が平和なのだろう?日本の平和はなんだろう?と思ったので、調べてみました。


平和(へいわ)とは、狭義では戦争のない状態で、暴力的な政治的活動が行使されない状態を言う(平和学における消極的平和)。
広義には、人間が相互の恒常的な自由と秩序・安寧・平安などを実現・維持している状態で、これを脅かす全ての暴力がない状態を言う。例えば、具体的な戦闘が終結しているような場合においても、地雷などが依然として埋まっているような土地では、生活に対する危険な状態が継続していると言えるため、完全に平和になったとは言いがたい。
また、明確な危険が存在しない状態であっても、差別・貧困・飢餓・疾病・教育格差・情報格差などが存在している場合は、やはり人間の自由が脅かされていることに変わりはない。このような行為主体が明確でない暴力を構造的暴力ととらえ、これらの無い状態を平和とすることもある(平和学における積極的平和)。大きな災害も秩序を喪失させることが多いため、これも平和の対極に置く考えもある。平和を研究する学問が平和学である。「平和」の概念は、平和学の発展とともに拡張されている。


平和の方法論
平和を実現するためのモデル的な方法論はいくつかあるが、根本的な解決にはさまざまな要素により未だ至っていない。

・強力な支配者が覇権を維持することによって秩序を保とうという覇権主義の考え方。
・各人・各国がお互いの独立と権利と自由を最大限に尊重・保障しながら発展しようという国際協調主義の考え方。
・複数の国家が連合した国際機関を介した集団安全保障によって実現しようという考え方。

≪例≫

ローマ帝国地中海世界で実現したパックス・ロマーナ
国際連合欧州連合が行っているさまざまな政治的、経済的、外交的な取り組み。
国際連合が設立当初目指していた安全保障理事会による集団安全保障体制。
・西側と東側の核抑止による勢力均衡で成り立った両極体制。
などが挙げられている。


*参考ページ:ウィキペディア


調べてみると、平和って難しい。平和な世界を実現することも難しそうだなと感じます。以前、哲学の授業で「正義」について考えたことがありますが、私が思っている「正義」と本当の「正義」の定義が少し違っていた。その正義と平和は少し違うけど、奥が深くて難しい言葉ということは似ていると思った。