水着

高速水着、進化の新作 国内メーカー巻き返しへ


大学の授業のページに、「高速水着、進化の新作 国内メーカー巻き返しへ」という記事がありました。



内容は、 
 競泳水着の進化が止まらない。昨夏の北京五輪で英スピード社製水着レーザー・レーサー(LR)に完敗した国内メーカーが新作を開発、16日から始まった日本選手権(静岡・浜松市総合水泳場)で巻き返しに臨んだ。体に負担がかからず、そのうえタイムも出る。この水着を作ってもらって感謝しています」。女子200メートル平泳ぎを2分22秒33の日本新記録で制した金藤理絵東海大)は、デサントの新作水着に満足そうだった。デサントは大会に3タイプを投入。この日、金藤ら多くの選手が着たラバー素材の水着は「発売前で、機能は明かせない」(広報担当者)。3月に売り出した別タイプは、太ももや尻などにX形に張ったポリウレタン製テープのおかげでレース後半でも一貫した姿勢を維持できる。 LRは素材を軽くして、体を締め付けるような仕掛けで水の抵抗を抑えた。さらに抵抗の少ないポリウレタン製パネルを胸の部分に張り付け、高速化を実現。北京五輪を席巻し、今のところ改良版は発表されていない。



という内容で始まっていて、水着がつねに進化し続けていることが書いてありました。
去年の夏に開催された北京オリンピックでは、北島康介選手が今まで使っていた水着ではなく、スピード社が開発した最新の水着を用いて金メダルを2個も獲得しました!水着だけの力ではないと思いますが、より良い水着を着用することでベストなタイムがでる可能性が広がるので、水泳選手にとっては重要な問題の一つなのだろうなと感じました。
これからも、選手にとってより良い水着を開発していってほしいです。


☆水着について調べてみました!
水着は、プールや海で運動、遊泳もしくは潜水用に着用する衣服のことである。水泳用、潜水用など様々な物があり、デザイン・構造や素材など多くの点で異なる。



19世紀中頃の女性用水着


★水着の歴史
海水浴が海に面した地域の人々だけで行われていた古代〜近世では、「海水浴のための特別な衣服」を用意するという認識は一般的ではなく、下着姿や着古した普段着、時には裸で水につかることが多かったと見られている。一方ポンペイで発掘された壁画では、女性が現在のビキニによく似たツーピースの覆いを着けている様子が描かれている。


鉄道網の発達により、一般の人々が海浜地域に出かけることが容易になった1800年代には、水にぬれても肌が透けて見えないようにサージやフランネル・アルパカなどの生地で作られた、ひじ丈の袖のついた服とひざまで覆うパンツの上下そろいの服(「上下そろい」を意味する「スーツ」という単語がついた、スイミングスーツswimming suitの語源はこれ)が着用された。1900年代に入ると胸ぐりの深い、袖なしのメリヤス製水着が登場、以後肌の露出部分が大きいデザインへと変化していく。


1907年に「水面下のバレリーナ」との異名で有名だったアネット・ケラーマン(オーストラリア出身のスイマー・女優、英仏海峡の水泳横断に挑戦した最初の女性)がアメリカを訪問、これまでの上下そろいで水中の動きを妨げる水着よりも動きやすい、首周りや手足が露出したワンピース型の水着をボストンビーチで着用した際、公然わいせつ罪で逮捕される事件が起こった。体の線がはっきりと現れるワンピース水着は、大胆で活動的な新しい水着の形を社会に示しただけでなく、女性の権利を拡大する運動が盛んだった当時、アネットによる「女性が(活動的な)ワンピース水着を着る権利」のアピールとして受け入れられた。


1920年ごろには短いスカートのついたキルト式水着や、スカートを省略し上下を一体縫製した、半月型の深い胸ぐり(スコップでえぐったような胸ぐり、の意味でスクープド・ネックと呼ばれた)と見ごろから裁ち出した幅の広い肩ひもを持った「タンク・スーツ(Tank suit・タンクは水槽、室内プールを指した)」が流行した。活動的・機能的なタンクスーツのデザインは現在日本で「スクール水着」として知られている学童用水着に継承されている。


1946年にはフランスのデザイナー、ジャック・エイムによってビキニと名づけられた肌の露出の大きいツーピース水着が発表される。「ビキニ」の名は水着の刺激的な印象と当時行われたビキニ環礁での原爆実験の衝撃的な印象が結び付けられたこと、またビキニ島周辺の原住民の伝統的な服装に由来するといわれている。また1964年には、アメリカのルディ・ガーンリックによりビキニのブラジャーを省略した「トップレス」が発表された。


1970年代後半には脚回りの裁ちを高くした「ハイレグ・カット」が登場、伸縮性・耐塩素性の高いストレッチ素材(ナイロン、ポリウレタンなどの合成繊維)が一般的に採用されるようになった。ロサンゼルスオリンピックの開催された1884年以降には、フィットネスクラブやスイミングクラブで健康づくりの一環として水泳を楽しむ、競泳選手以外の人々が増加。競泳水着やこれを基にしでデザインされた体型補正機能を備えた水着の市場が拡大した。


現在ではデザインの違う複数の水着を、場所(海岸・プール・リゾートなど)や目的(レース・フィットネスとしての水泳・海水浴や水遊び・ファッションとして着る、魅せる楽しみなど)によって使い分けることが定着している。




アネット・ケラーマンが1900年代初頭に自身でデザインした水着を着ている写真


参考ページ:ウィキペディア